ABOUT 赤松薬局に ついて

赤松薬局の歴史 HISTORY

1591年(天正19年)

毛利輝元の広島開府の際、初代 金川屋九郎右衛門が町割りで現在の土地を与えられ、薬種業を始めたと記されている。

「随筆 忍草」著者 鎌田 栄 (旧姓 赤松)の写真
※「随筆 忍草」著者 鎌田 栄 (旧姓 赤松)
著者鎌田栄の父 14代目又四郎の写真
著者鎌田栄の父
14代目又四郎

1615年 赤松薬局 開業

創業者・金川屋九郎右衛門は、広島市に「金川屋」(現:赤松薬局)を開業

1620年 
4代目 又四郎 就任

4代〜16代当主は皆、幼名の後「又四郎」を襲名した

1804年

赤松薬局オリジナル漢方
「順血三日散(じゅんけつみっかさん)」を
製造・販売開始

主に女性向けの血の道の薬、食欲増進材として販売。

1800年頃

「さいせい湯(さいせいとう)」販売開始

●「さいせい湯」の金看板
看板は戦後、山口県の骨董屋で発見された。看板の裏には、明治37年の新聞が張り付いていたことから、それ以前に作られた看板(明治初期にはあった)と推測される。
発見当時は所々の金箔が剥がれているが、完成時には全面に金箔が施された豪華な看板だったと思われる。

「さいせい湯」パッケージの写真
「さいせい湯」パッケージ
「さいせい湯」の金看板が支柱に設置されている、現在の店内の写真
現在は店内の支柱に設置しており、どなたでもご覧いただけます。

1877年

金川屋(現:赤松薬局)
「広島諸商仕入買い物案内記」帳面

帳面に記載されている薬類は全て金川屋が製造販売していたもの。

金川屋(現:赤松薬局)の帳面の写真

1892年5月5日

中國新聞第一号の紙面に「順血三日散」
「さいせい湯」「黄精丸(おうせいがん)」の
広告を掲載

「さいせい湯」の広告デザインは、金看板と同様のものが掲載されているのが確認できる。

中国新聞第一号 紙面の写真
中国新聞第一号 紙面
1935年頃の本通商店街の写真
1935年頃の本通商店街
※「広島本通り商店街のあゆみ」より引用

1945年
広島市への原子爆弾投下による被災

1945年8月6日、広島市に原子爆弾(リトルボーイ)が投下される。
爆心地からおよそ500mの所にあった赤松店舗は消失。開業以降の資料や系譜、商品等を失う。

赤松サブエピソード

「父の言葉で惨禍を乗り越える」

1945年7月頃、17代当主(正康)の父、赤松偕三は、岐阜の薬学専門学校へ入学していた。
そんな中、8月8日の新聞で「原子爆弾によって広島が壊滅的被害を受けた」と知った。その日の夜に列車に乗り、9日の早朝に帰広した。

数日かけてがれきが散乱する店舗の跡地を発見。がれきの下から白骨遺体が2人分発見された。一人の骨には薬瓶の破片、もう一人には見知った帯留めが付着していた。その遺骨が、偕三の父と母のものだと判明する。

怒りと悲しみ、そして大きな不安にさいなまれる中、ふと父から「もしものことがあったら庭を掘れ。」と言われていたことを思い出した。庭にある土蔵前の地中を掘り起こすと、当時の初任給の百倍ほどの現金と、家財や医薬品を避難させた親戚宅や元従業員を記した帳面が入った壺が出てきた。
「よう残してくれたのう…」感謝で胸がいっぱいになったと、偕三は当時を振り返る。
先代が残してくれたもののおかげで、今の赤松薬局があるーー。

「広島大仏」西蓮寺へ移送に関わった方たちの写真
被爆復興のシンボルとなった唯信寺の「広島大仏」を、被爆した翌年8月4日、西蓮寺へ移送に関わった方たちの写真。
※最前列、右から2番目が赤松偕三。

1947年 赤松薬局再建

赤松偕三と長兄又四郎が、店の跡地(現在の本通商店街の店舗と同じ場所)にバラックを建設して薬局を再開。主力商品の「順血三日散」を中心に医薬品を販売。

1946年

偕三と長男が建てたバラックの赤松薬局

偕三と長男が建てたバラックの赤松薬局の写真

1949年

16代目 赤松又四郎(伸彌)代表取締役就任
(1949年〜1994年)

1952年

バラックを取り壊して店舗を建て直す

1952年に建て直された店舗の写真

1953年

偕三の嫁(満喜子)が代表となり、薬局の隣に「化粧品部」を立ち上げ販売開始

赤松化粧品部の写真

1960年代

薬品部当時の店内写真

薬品部当時の店内写真1枚目
薬品部当時の店内写真2枚目

1948年

「順血三日散」をアメリカやハワイを中心に
海外へも販売開始。

海外販売用パッケージの写真
海外販売用パッケージ
国内販売用パッケージの写真
国内販売用パッケージ

1954年

本通り商店街にアーケードが設置されるも、
翌年、積雪の重さに耐えきれず倒壊。

倒壊したアーケードを現在のパルコ付近から西を望む写真
倒壊したアーケードを現在のパルコ付近から西を望む写真
※「広島本通り商店街のあゆみ」より引用

1960年代

赤松薬局支店3店舗経営開始

広島市の復興と共に、赤松薬局は広島市内に「明治生命ビル内」「江波店」「中山店」と3箇所に支店を構える。

1960年代 商品ラインナップ

「SIOCA」(制酸剤)発売
「SIOCA」(制酸剤)の写真
「赤松薬局健胃剤」を発売
「赤松薬局健胃剤」の写真
「生薬利尿剤 八千草湯」発売
「生薬利尿剤 八千草湯」の写真
「漢方神経痛薬 新九十九湯」発売
「漢方神経痛薬 新九十九湯」の写真
「赤松健康茶 枸杞鳩麦」発売
「赤松健康茶 枸杞鳩麦」の写真
さいせい湯パッケージリニューアル
リニューアルされた「さいせい湯」パッケージの写真

1962年

再建されたアーケード

広島本通り商店街の写真
べっぴん店付近から西方を望む
※「広島本通り商店街のあゆみ」より引用

1972年

薬品部と化粧品部の店舗を改装

1972年の店舗外観の写真
1970年代当時の薬品部店内とスタッフ
1970年代当時の薬品部店内とスタッフの写真

1990年

現在の赤松ビルを建設。翌年、本通に新アーケードが設置される。

1990年の店舗外観の写真

1991年

「順血三日散」の国内用パッケージをリニューアル

1991年「順血三日散」国内用パッケージの写真

1994年〜

赤松偕三 代表取締役就任(1994年〜2002年)

赤松偕三代表取締役の写真
赤松偕三代表取締役

中国新聞創刊100周年記念掲載記事
中国新聞の第一号の現物が見つかる。当時の紙面に赤松薬局の「順血三日散」が掲載されていたことが確認され、中国新聞と赤松の歴史を当時の社長偕三と専務の正康が取材を受ける。

2022年12月28日中国新聞の記事
※中国新聞社の許可を得ています。
掲載日付2022年12月28日

2000年頃

「明治生命ビル内」「江波店」「中山店」の3支店を順次閉店。

2002年〜

17代目 赤松正康
代表取締役就任

17代目 赤松正康の写真

2009年〜

RCCラジオ「バリシャキNOW」

「魂の薬剤師 赤松正康の4時前に薬とロックンロール」
コメンテーター

2015年

創業400年

店内に、赤松の歴史にまつわる品々を展示。

広島商工会議所より表彰される
広島商工会議所からの表彰状の写真

2022年〜

広島名物をカプセルトイにした「街ガチャin広島」の8種類のうちの一つに選ばれ、赤松のロゴがアクリルキーホルダーになり販売される ※同年秋に終了

店頭に並ぶカプセルトイ筐体の写真
赤松薬局のロゴキーホルダーの写真
赤松オンラインショップ「赤松SHOP」開設
赤松オンラインショップ「赤松SHOP」のスクリーンショット

17代目 ごあいさつ GREETING

代表取締役 赤松正康の写真

400年、地域に寄り添ってきた薬局として。

1615元和元年、広島城築城にともない備前の国、金川村より出来、現在地にて薬種業を営み始めて400有余年。広島市中区本通の赤松薬局です。
「本物」にこだわり皆様に安心と安全をお届けするために厳選した品々を取扱っております。

ストレス等から来る免疫力の低下、花粉症やアレルギー、アトピーや敏感肌でお困りではありませんか?
ひざや関節の痛み、虚弱体質、健康回復、さまざまなご相談に赤松薬局はお応えさせていただきます。
広島市中区本通の当店は広電本線立町駅から徒歩4分、広電宇品線本通駅からは徒歩3分と、好立地で便利な皆さまのかかりつけ薬局。おくすり、おからだのお悩みは広島市中区本通の赤松薬局にお任せください。

代表取締役
赤松 正康